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「大仏開眼1250年奉賛・籔内佐斗司 in 東大寺〜太陽と華と〜」展

* この展覧会は以下のみなさまのご推薦を頂いています。

澄川喜一(前・東京芸術大学学長)
平山郁夫(東京芸術大学学長、文化功労者)
荒井正吾(参議院議員、元・海上保安庁長官)
絹谷幸二(東京芸術大学教授、芸術院会員)
小野寺久幸(財団法人美術院常務理事)
多川俊映(法相宗大本山興福寺貫首)
濱野堅照(西新井大師 総持寺貫首)
福田亮成(大正大学教授、真言宗智山派智山伝法院院長)
喜美候部宗一(青松寺住職)
橘宗義(大徳寺別院徳禅寺住職)
(順不同、敬称略)
【展覧会要旨】
テーマ
「太陽と華と」
会期
2002年5月8日(水)〜19日(日) 9:30〜17:00
レセプション
7日(火)午後5:00〜7:00、金鐘会館B1F特設会場
※賛助会員及び、招待のみ
記念講演会
8日(水(東大寺・金鐘会館内にて2回開講)
主催:東大寺/ 対象:東大寺友の会会員
※満席につき、申し込みは締め切られました。
会場
;東大寺・金鐘会館(旧・東大寺学園講堂、南大門南隣)
主催
「大仏開眼1250年奉賛・籔内佐斗司in 東大寺“太陽と華と”」展実行委員会
〒150-0011
渋谷区東1-2-7古川ビル2F 株式会社コーパス内
tel 03-3499-0021
fax 03-3499-7788
後援
東大寺
協力
近畿日本鉄道、岡村印刷工業株式会社、45RPM STUDIO 、ほか
会場構成
株式会社コーパス
備考
入場無料、関係物販店舗併設

【ごあいさつ】
 東大寺大仏開眼1250年を奉賛し、本年五月に展覧会を奉納させて頂くことになりました。
 私の制作の原点は奈良にあります。仏像の修復と研究に没頭していた青年時代には、東大寺や興福寺をはじめとする奈良の寺々へ足繁く通いました。また1983〜84年、東京芸術大学が行った地蔵菩薩立像(新薬師寺所蔵、鎌倉時代制作)の全面解体修理に参画し、この美術史に残る希有な構造を持った仏像の修復を担当いたしました。
(註-1)
 修復の現場を離れてからは、中世以前の仏像彫刻の制作技法をもとにした私独自の 彫刻技法を駆使し、日本人の精神世界を穏やかで懐かしい造形で表現してまいりました。 私は「彫刻の作り方を、仏さまに教えて頂いた」と考えています。また、くり返し破壊の憂き目にあった大仏さまが、その都度不死鳥のごとく蘇って現在の姿にあることの奇跡を日本人として誇りに思っています。
(註-2)
このたびご縁あって、東大寺大仏開眼1.250年奉賛事業の一環として、私自身の制作の重要な源泉でもある東大寺境内において「籔内佐斗司 in 東大寺“太陽と華 と”」展を開催させて頂くこととなりました。この展覧会は、私が奈良の地への感謝の気持ちを込めた壮大なオマージュとなるでしょう。みなさまのご来駕、ご高覧をこころよりお待ち申し上げております。

なお、同展実行委員会は、出品作品の一部を東大寺整肢園(肢体不自由児施設)に寄付させて頂きます。
籔内佐斗司
展覧会実行委員会
http://uwamuki.com/todaiji/

註-1;
*「新薬師寺地蔵菩薩像修理研究報告書」共著、芸大美術学部紀要21号/1986
*日経新聞文化面連載「大衆性の美学十選」籔内佐斗司/1992より
地蔵菩薩立像(通称・影清地蔵)
(鎌倉時代、木像・漆・彩色、像高188.1センチ、奈良・新薬師寺)
日本独特の彫刻技法である寄せ木造りは、複数の材木を合理的に組み合わせて体幹部を造り、腕や頭を別材で木取りし、最後に組み立てるという作業効率の高い方法である。麻布を貼り漆を塗って仕上げるため、木の継ぎ目は外からでは分からない。
昭和五十八年から一年をかけて東京芸術大学で修理されたこの像の構造は、我々修理担当者のみならず美術史の関係者を大変驚かせた。簡単に言うと、裸の男性像に多くの板を張り付け、そこに衣紋を彫り込んで見事なお地蔵さまの姿に造り変えていたのであった。
こんな構造を持った仏像は皆無であり、技術的にも大変困難である。なぜこのような像が造られたのかは謎であるが、東大寺の仁王さまが巨大さの点で寄せ木造りの頂点であるなら、本像はその応用技術の頂点といえるだろう。
国宝の本堂の片隅で絶えず人目にさらされていたこの像がこんな秘密を持っていたことをだれにも気付かせなかった鎌倉仏師のハイテク技術に脱帽する。


註-2;
*日経新聞文化面連載「大衆性の美学十選」籔内佐斗司/1992より
廬舎那仏坐像
(奈良〜江戸時代、像高1485センチ、奈良・東大寺)
 修学旅行の定番、奈良の大仏さまのお顔が実は四代目であることをご存じだろうか。
 中国・唐の竜門の石仏をお手本に、百済系工人・国中連公麻呂の指揮で完成したのが752年であるが、1180年、平重衡の兵火により東大寺は灰燼に帰し、大仏は台座の連弁と体の一部を残し甚大な損害をこうむった。その後1185年、宋人・陳和卿により大規模な修理が行われ、頭部は新しく鋳造された。しかし1567年、松永久秀の軍勢により再び大仏殿は焼失し、大仏の手や胸から上は大きな損傷を受け、頭部は破壊された。
 江戸時代になって全体を丹念に鋳掛け修理した後、しばらく木造の仮りの頭部がのせられていたという。1690年に鋳物師・広瀬行左衛門らによって現在の頭部が造られた。
 千二百年をはるかに超える長い間、唐の英知をもとに百済や宋そして天平、鎌倉、江戸の各々の時代を代表する造形力と技術が、一体の彫刻として具現化していることの奇跡に驚かざるを得ない。私は奈良を訪れるたび、必ず大仏さまに「ただいま」をいいに行く。

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