籔内佐斗司

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2002年11月20日、山門四天王の開眼法要後に撮影。)
一昨年から私の工房が総力をあげて取り組んだ青松寺開山堂の三祖師像と境内一円に点在するブロンズ作品、そしてあらたに建立された山門の四天王像は、私にとって今までに経験をしたことがないほどの規模と速さで制作し完成することができました。もちろんこのことは、工房の仲間たちの献身と、関係者のご尽力の賜物であることはいうまでもありません。

 私は十名ほどのスタッフを率いて仕事をしています。今回のしごとを最期に工房を巣立つ大森暁生くんや、塩路秀哲くんをはじめ、古参新参を問わず全員がこの貴重な経験を通じて大きく成長してくれたことと思います。
また各地から駆け付けてくれた助っ人もいます。そのなかで十六羅漢の制作にも参加した青森の三浦康道さんと石川の野桑敏哉さん、岩手の阿部圭二さんは、木彫職人としての確かな技倆を以て、地元で活発に制作を続けているひとたちです。先頃、一民間企業の研究者が突然ノーベル化学賞を受賞しましたが、これからは彫刻界にも、地道ながら骨太い実力を持った彼らのような「職人たち」が、どんどん進出してくれることを期待しています。
 
 私の彩色技法は、いわゆる木彫彩色と異なり、漆地の上に古色を感じさせながら彩色する独特の方法を取っています。これは文化財の修復から得た技法です。日本画家である塩崎顕くんや馬場苑実さん、熊川みのりさんらを中心に多くの彩色スタッフが、巨大な立体像とよく格闘してくれました。
青松寺さまのお仕事を通じて、私の工房がさまざまな経歴を持った若者や猛者たちが出会い、一緒に生活し飯を喰い、語らい成長する場となったことを本当に嬉しく思っています。

二十数年のおつき合いがある檜専門店の北原材木店は、今回のプロジェクトのために貴重な在庫のほとんどを放出してくれました。また木寄せをお願いした阿佐ヶ谷製作所は、緻密な建具や指物を得意とするところですが、膨大な材木の製材作業のために途中で腰を傷めてしまったひともいたと聞いています。そしてブロンズ作品の鋳造を担当した黒谷美術株式会社は、次々持ち上がる難題を粛々とこなしてくれました。

また、講堂の聖観世音菩薩立像は、京都の仏師・江里康慧先生と截金作家の江里佐代子先生ご夫妻がお作りになりました。おふたりが主宰される平安佛所は、私とも縁浅からぬ関係にあります。先の十六羅漢像の仕事が始まった頃、まだ高校生であったご子息・尚樹くんが私の工房に入り、永く私の仕事を助けてくれました。数年前に京都へ戻った彼は、父上のもとで仏師としての厳しい修業を始め、今回の聖観音像制作のお手伝いや、懸魚(げぎょ)の制作も担当させて頂いたと聞いています。

このように、青松寺さまのお仕事は伽藍や仏像群が出来上がったというだけでなく、たくさんの人材を育てる機会となりました。このことは、修行の場という寺院本来の姿をお示し頂いたことであり、制作現場の一端に名を列ねさせて頂いた者として、こころより御礼を申し上げたいと存じます。
そして青松寺さまが、21世紀を生きる人材が活き活きと切磋琢磨する場として、ますます発展を続けられることを願っています。