平成伎楽団とは

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 「平成伎楽団(へいせいぎがくだん)」とは、2009年に結成された彫刻家・籔内佐斗司プロデュースによる仮面芸能の集団です。もともとの「伎楽」は、6世紀頃の中国・呉の国を舞台にした仮面劇で、朝鮮半島の百済を経由して7世紀にわが国伝わりました。飛鳥から天平時代にかけて、主に仏教寺院の野外イベントの演目として隆盛しましたが、平安時代初めに急速に衰え、謎の芸能となってしまいました。籔内佐斗司は若い日に、法隆寺や正倉院に伝来した伎楽面に強い啓示を受け、現代に伎楽を蘇らせることがながいあいだの夢でした。そして十年ほど前から、伎楽面特有の後頭部を覆う形式を持ったオリジナルの仮面と装束の制作を始めました。
 そして2008年夏、第一番目のキャラクター「鹿坊(ろくぼう)」が「奈良の鹿愛護協会募金箱」などを奈良県知事に寄贈したのが最初のマスコミお披露目となりました。その後、CD「赤ちゃんトランスwith鹿坊」のジャケットを飾ったり、携帯ゲームサイトGREEのテレビコマーシャルにも出演しました。
 それ以降、つぎつぎと新しいキャラクターが生まれ、さまざまな場所に登場して、遷都祭公式キャラクターせんとくんとともに2010年開催の「平城遷都1300年祭」の応援にも一役買っています。今では「平成伎楽団」として十種類以上のキャラクターが誕生し、各地で大活躍しています。

【平成伎楽団のキャラクター】

  •  「平成伎楽団」は、演者によって三種類の組によって構成され、それぞれの場に応じた演目を展開することができます。
  •  各キャラクターの詳細はこちらから。

【流石組】【茂山組】【あめのうずめ組】

【「平成伎楽団」広報資料】


 いにしえのむかし、今のインドや中東地域である「胡」の国の商人が、東アジアにたくさんの文物をもたらしました。そして彼らとともに魅力的な音楽や芸能も持ち込まれ、中国で新しい文化が生まれました。そのひとつに仮面芸能の「伎楽(ぎがく)」があります。軽妙で滑稽な演劇であったようですが、今では中国にも朝鮮半島にも、その内容を具体的に知る手がかりはほとんど残されていません。
 伎楽は、7世紀に百済を通じてわが国にも紹介され、おもに仏教寺院の祭礼の余興として催されました。法隆寺や東大寺、正倉院には、たくさんの伎楽面と装束が残っていますが、残念ながら平安時代に入って仏教が密教化するにつれ急速に消滅してしまいましたので、どんな演劇であったのかは謎となっています。
 しかし伎楽は、その後の芸能に深い影響を与えたと思われます。能・狂言の原型である猿楽や田楽、お神楽などの仮面芸能はもとより、わが国の昔話の主人公たちの多くは、実は伎楽面がもとになっているのではないかと考えられます。鼻の長い天狗さまは、伎楽行列の先頭を歩いた「治道(ちどう)」そっくりです。天狗の家来の烏天狗は「迦楼羅(かるら)」にそっくり。河童や節分の鬼そのままの仮面や、獅子舞の原型となっている獅子頭もちゃんと伎楽にはありました。おそらく、伎楽が行われなくなったあと、寺院に残っていた伎楽面を、密教系の修験者や芸能民が持ち出して自由に使ったものと想像されます。



 彫刻家の籔内佐斗司は、自身の作品を『和魂(にぎみたま、やわらぎのこころ)』の“よりしろ”として、幸せの活力を発散することを目的に制作しています。仏教のことばでいえば『和顔施(わがんせ)』。そんな功徳のひとつとして、みなさまに作品を通じて幸せを伝えたいと願っているのです。そして彼は、若き日に出会った謎の仮面・伎楽面に魅了されて以来、いつかは彫刻作品を超えた表現形式を創りだすことを願い続けてきました。それが2009年についに「平成伎楽団」として実現し、同じ時期にデビューした着ぐるみ「せんとくん(注)」のファミリーとして注目を集めたのはご存じの通り。

 「平成伎楽団」は、形式にとらわれないさまざまな演者によって展開していきます。仮面と装束というハードと、演者というソフトと、演じられる現場の力が三位一体となって生み出される即興性の高い表現が見所です。
 すでに、「振り産み師」を自称する南流石(みなみさすが)氏率いる「流石組」や「お豆腐狂言」で知られる大倉流茂山狂言の「茂山組」、先鋭的なダンサーたちが繰り広げる「あめのうずめ組」などが活動を開始しています。ユーラシアの悠久の歴史のなかに生まれ消えていったさまざまな芸能や文化の遺伝子を持って誕生した「平成伎楽団」は、芸能の原点であり、またまったく新しいエンターテインメントです。天平人を魅了した「伎楽」の遺伝子を持った彼らが繰り出す融通無碍なパフォーマンスを、大いにご期待ください。

(注)2010年に奈良で開催される「平城遷都1300年祭」の公式キャラクター